1959年7月チェ・ゲバラは米国に対する配慮から難色を示す日本政府を無視して、
実費で夜行電車に乗り広島行きを強行したのである。
彼は1500円相当の花束を受けとり、慰霊碑にささげ死者の霊を弔った。
そして通常30分程度で見て回れる資料館を約一時間かけて回った。
チェ・ゲバラは、館内のさまざまな原爆による被害の陳列品を見るうちに英語で言った。
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされ、腹がたたないのか」
帰国後、チェ・ゲバラは
「原爆の悲劇から立ち上がれ、日本よ」
と題した手記を新聞に掲載し、
「痛ましいのは原爆が投下されて14年たった今年も後遺症で
多くの人が亡くなっていることだ」
「資料館では、胸が引き裂かれるような場面を見た」
と訴えている。
その後間もなく、旧ソ連ミサイルのキューバ配備をめぐり、
核兵器使用の一歩手前まで緊迫したキューバ危機が訪れる。
その際も、チェ・ゲバラの広島訪問が大きな影響をもたらしたとも言われている。
そんなチェ・ゲバラの広島に対する思いはキューバ全土に広がり、
現地の子供でさえ広島で起きた事実を知るまでになる。
どんな政治家も世の中を変えることはできない。
世界は不信と恐怖に満ちている大国の占領政策はいまだ終わりを見せず、
貧しい国やイデオリギーや宗教に凝り固まった国々はそのつけを払わされてる。
弱い者から痛ましい現実に身を置き怒りと復讐に燃える。
我々は豊かさの限りを使い自然まで破壊しています。
世界の土地や富は誰かの物ではないのだ。
真実とLOVEは僕らの手にある。
お金や宗教、政治、では何ら変わらないのだ。
豊かさに溺れる物質文明はいずれ終わりを迎える。
そして虐げられ、子供を失った人々の復讐に怯え、理由をつけては占領と殺りくを繰り返すだけだ。